なかなかあつやのことを書くことが出来ずにいてますが
最近、プラダー・ウィリー症候群という特殊な障害を持つあつやと、
ときどき問題を起こしながらでも、笑って過ごしている日々を伝えていることが
実はとても大事なんじゃないか、と思うことがあり、
facebookでは、そんな日常を残しているつもりだったのですが
ブログという形でも、出来るだけ書き残して行こうと思います。
私はもともと、「あつやとの生活」というブログを書いていて、(さっき覗いたら26万以上のアクセスがあったんだとビックリ!)そのブログは2015年10月以降更新していません。
でも、やっぱり無理をするつもりはありませんので、ゆるーく書き留めていきますのでよろしくお願いします♪
と、いうことで、
facebookをご覧の一部の方には少し話をしかけて去年の問題行動。
内容は、友人を使ってコンビニでお菓子の買い出しをしていたってことでした。
友人を「パシリ」にしていたことも問題ですが、もっと問題なのは、そのお金の出どころ。
多分、いや、絶対自分のお金ではない。
もともとは、気の良い友人が朝、通所する前にコンビニに寄り、買ってきたお菓子をあつやにあげた、ということから始まったみたいです。
それを利用しようとしたあつや。
それから、毎朝、「買ってきて」とお願いしていたらしい。
最初はあとからお金を渡していたようですが、そのうち先にお金を渡して買いに行くように頼んでいたようで、買うものも調子に乗っていったようです。
ある日、事業所から電話。(電話だけで、また何かやらかした?と思うのは昔と変わらず(^▽^;))
あつやが○○君に頼んで、毎朝お菓子をなどの買い物を頼んでいて、休憩時間に食べていたことが分かりました、と。
その、見つかった時のモノが、ボトルのガム(キシリトールガムなどが入ったもの)やペットボトルのジュース。
そんなことを毎日。(見つかった時を逆算すると、2週間ほど)
スタッフさんは、今まで見つけられなくても申し訳ございません、とおっしゃっていました。
分かるんですよー、あつやだって見つからないと思ってやっていたこと。
これが知恵比べ。
見つかるまでする。
だから見つけてあげるしかない。
そして、その話を聞いた時、家からお金(わかっていた額は1万円)が無くなっていたことがあったので、そのタイミングとピッタリ。
自分のお小遣いは触らず、食べ物を手に入れる。
実に、あつやらしい・・・・・・・。
もう、ね、
なんでこんなことしたの?
いつから?
何を買って食べていたの?
いくら使ったの?
どこからお金盗ったの?
そんなこと後から追及したって何もわからないし、それを吐かせたって意味のないこと。
長年の生活の中で分かってきたこと。
それよりも、再び同じことをさせないように見守ること。
そして、環境を整備すること。
見つかったことと同じことはしないので、(多分)もう、しないと思う。
隙が見つかったら。スイッチが入ることはこの先も変わらないんだろう。
これを機に、あつやのお小遣い帳を整理して一緒に残高を確認。
ときどき、中身を一緒に確認するように約束。
(あー、こんなことも何度も繰り返してるけど・・・)
推測で計算したら、お金はまだ隠し持っているはずだと思い、時折あつやの持ち物をチェック。
そしたら、ある日の朝、何気なく連絡帳を出して、って言ったら、「カバンの中」って言うので、カバンを見ようとしたら、私よりカバンの遠くにいたあつやが、カバンを空けて、「はい」って渡したその行動にピン!ときて、
「水筒、車の中に忘れてない?取ってきて」と頼んで、あつやが部屋からいなくなった隙にカバンを空けたら・・・・
すぐに見えるところに、5000円札1枚と1000円札3枚、合計8000円発見!
( ̄▽ ̄;)
ササっと抜いて、何もなかったように振舞っていました。
後から、事業所さんに電話して、持っているはずのないお金が見つかったことを報告。
こうして、事態は共有しておくようにしています。
ただ、家からなくなった1万円から、使ったであろう金額を引いたら3~4千円ほどあまってるのでは?と思っていた金額より多かった・・・ということは、もっと盗られていたってこと?なのか??
(~_~;)
考えたって仕方ないことなんだけどー。
あつやは、こうして見つけられたお金が無くなっていても何も言いません。
もともと自分のお金じゃないからね。
のちに事業所さんから「見つけてあげてあつやくんもホッとしているのかもしれませんね」って言われました。
なるほど。そういう考えもあるのね。(@_@)
盗ってしまったお金。
結局使うこともできないで持て余していたのかも知れないし、わざと見つけやすいようにしていたのかもしれない。
本心のところは分かりません。
ただ、やっぱりそういうことをするスイッチが入らないように、日々の生活の中であつやに寄り添って見守り続ける。
それだけ。